大地震が起こる前に備えは必須【阪神淡路大震災の経験者として語る】

    私は、1995年1月17日の5時46分、阪神・淡路大震災によって被災をした経験があります。

    阪神・淡路大震災は戦後初となる大都市直下型地震であり、住居・道路・交通機関などに甚大な被害をもたらしたほか、6434人の尊い命が失われたのです。

    なお、日本は世界的にも地震の発生率が高いこともあり、阪神・淡路大震災後も新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震など、大地震が身近な生活の中で起きてきました。

    そして、今後30年以内に「南海トラフ地震」が約70~80%の確率で発生する可能性があると気象庁は公表をしています。

    そのため、今後発生する可能性のある地震に対して、身を守ることのできる備えをすることが重要です。

    そこで、阪神・淡路大震災の経験者として、地震に対してどのような備えをするべきかを実体験を含めて解説していきます。

    睡眠中に地震が発生するも奇跡的に助かる

    阪神・淡路大震災が発生したのは1995年1月17日の、まだ夜が明けきらない5時半過ぎのことです。

    当時の私はどこにでもいる小学生で、神戸市から差ほど遠くない地域のアパートに住んでいました。

    ちなみに、間取りは6畳2間で築30年以上のアパートであり、現在は取り壊されたようでワンルームマンションになっています。

    6畳2間ではあったのですが、1部屋の半分を荷物で埋め尽くしていたため、テレビ・テーブル・勉強机、食器棚などを置いた部屋でいつも眠っていました。

    それでも結構狭く、辛うじで布団を1枚敷くことのできる程度です。

    そして、明日も授業があるため眠りについたのですが、次に目が覚めた時は食器棚の下敷きになっていました。

    勉強机が食器棚を支えてくれていた

    額に強い痛みを感じて強制的に起こされた時には、既に身動きの取れない状態でした。

    最初は何が起きているのかを把握することができず、取りあえず動こうとしたことを覚えています。

    しかし、辺り一面に瓦礫のような物が散乱しており、目の前には壁があって動くどころか起き上がることもできなかったのです。

    ですが、若干空いたスペースから親の声が聞こえたこともあり、時間はかかりましたが力を借りて抜け出すことができました。

    なお、狭い空間から抜け出して知ったのですが、どうやら食器棚の下敷きになっていたようです。

    ただ、正確に言えば「食器棚の下敷きになりかけていた」状態でした。

    実は、勉強机が支えとなって押しつぶされずに済んだのです。

    そのことから、もし勉強机がなかったら、そして勉強机が別の位置にあったのなら、私はこうして当サイトを立ち上げることがなかったかもしれません。

    アパートは地震に耐えるも生活は苦難の連続

    阪神・淡路大震災では多くの建物が倒壊をしましたが、私の住んでいたアパートは屋根瓦と壁が多少崩れただけで、倒壊は免れました。

    ただ、部屋の中は食器類の破片や荷物が散乱しており、とてもすぐに生活できる状況ではなかったです。

    そのため、散乱物を避けながら外に出たのですが、既に大勢の人が避難をしていて、その半数以上が寝巻きのままであったのを覚えています。

    私の住んでいた地域は建物の倒壊が少なかったものの、それでも甚大な被害により、私を含めた大勢の方がとても家の中に入れる状態ではなかったです。

    ただ、1月という寒い時期であったため、親が何とか毛布を引っ張り出してくるまりながら、外で夜が明けるのを待ちました。

    部屋の整理

    通常、倒壊の危険があるため避けるべきなのですが、当時は皆家の中の整理に必死でした。

    実は私の家もその一つであり、隣の住人の手を借りることによって道を塞いでいた食器棚を起こすなど、できる範囲で掃除や整理を当時行っています。

    その後は、散乱した荷物や割れた食器類の片付けをすることにより、何とか落ち着ける状態にすることはできていました。

    電気が復旧、しかし水とガスは使えず

    私の住んでいた地域は恵まれていたのか、1日で電気は復旧し、部屋に明かりを照らすことができたのです。

    ただ、水道とガスが復旧せず数日は電気のみで生活をしていました。

    それでも甚大な被害を受けた地域より、はるかに早い段階で復旧したため非常にありがたかったのを覚えています。

    食料を求めてスーパーを回る

    地震後に困ったことは、荷物の散乱やライフラインが停止していることでした。

    ですが、一番の問題は食料や飲料水が全くなかったことです。

    当時は現在と違い、ほとんどの家庭で「地震による備え」を考えていた人は多くなかったのか、その日の食べ物や飲み物がなく困っていた印象にあります。

    そのことから、私の家族を含めた多くの人が物資を求め、スーパーやコンビニなどを回っていました。

    ただ、ほとんどの食品や飲料水は既に購入されて品切れ状態、あるいは閉店しているため満足に購入できた人はあまりいなかったのではと思います。

    しかし、私の住んでいた地域では地震後間もないにもかかわらず、生活協同組合(生協)や、兵庫・大阪で展開している関西スーパーが開店していたことにより、少なからず食品を手に入れることができました。

    これにはほとんどの方が助けられたことでしょう。

    以来、いつ地震が発生しても焦ることの無いよう、1週間程度は生活できる備えを家庭内でしています。

    日本に住んでいる以上は地震の備えが必要です【経験者としての結論】

    日本は世界から見ても地理的な意味が関係し、地震の発生率がとても高い国です。

    なお、気象庁の解説では「日本は地震の被害を受けることのない地域が存在しない」と答えています。

    そのため、日本に住んでいる以上は地震の備えが必要不可欠です。

    このとき、どのような備えが必要なのかを解説していきます。

    家具は固定して配置を考える

    地震はいつ、どこで発生するかを前もって確認することはできません。

    例えば、日中の場合もあれば、私のように睡眠中の時間帯に発生する可能性もあるのです。

    そのため、事前に家具の配置を考える、もしくは固定をする必要があります。

    ポイントは、寝室に大きな家具類を置かないことですが、難しい場合は必ず固定が必要です。

    家具を固定することにより、地震によって転倒するリスクを減らすことができます。

    なお、出入口を塞がないように、工夫して配置や固定をするなども心掛けなければいけません。

    食料・水の備えをしておく

    人間にとって食料と水は必要不可欠です。

    そこで、食料と水の備えは3日~7日分を目安に人数分用意しておきましょう。

    なぜなら、地震時は食料や水を求めて必ず店舗に人が殺到します。

    そして、品切れにより手に入らない状況に陥りやすいのです。

    こうした状況を避けるために、食料は長期保存の可能な食品、あるいは日常で消費する食品をこまめに買い足しをして備えておくことが重要です。

    なお、人間は水を1滴も飲むことができなければ、約4~5日程度しか生命を維持することができません。

    そのため、水は必ず備えておくことをおすすめします。

    防災グッズも備えておく

    食料や水の備蓄は大切ですが、防災グッズの備えも重要です。

    なぜなら、地震による被害で住居が倒壊し、避難所生活を余儀なくされることがあるからです。

    また、住居の倒壊が免れたとしても、「いつ倒壊してもおかしくない」「危険により立ち入り禁止エリアに指定された」などが起こる可能性もあります。

    そのため、すぐに持ち出し避難できる防災グッズを一式まとめて備えておくことが大切です。

    ただ、防災グッズは何をどれだけ揃えるべきかと悩まれる人は少なくありません。

    このとき、防災士があらかじめ揃えた防災グッズを備えておくことで、悩みや危機的状況の解決に繋げることができます。

    地震は明日起きても不思議ではない。そのため備えはしておこう

    日本は突然地震が発生しても不思議ではない国です。

    これを踏まえ、少しでも安心して生活ができるように備えをしておくことが重要です。

    なお、まったく備えしていなければ、困難な状況に陥ることが高いと言わざるを得ません。

    そのため、私が地震によって被災をした体験談が少しでも役に立てばと思います。

    地震に備えて防災グッズを購入しようとするとき、調べると防災グッズを扱う会社はたくさんあります。

    このとき、会社によって防災グッズの中身は異なるので、適当に選ぶと失敗してしまう可能性が高いです。

    そのため、優れた防災グッズを扱う会社を選ぶことはもちろんのこと、家族構成や住居に応じた防災グッズを選ぶことが大切です。

    ただ、どのような防災グッズを選べばいいのかと悩まれる方は少なくありません。

    そこで、以下のページではあなたや家族の助けとなる防災グッズの特徴を解説しているため、それぞれの違いを確認しながら選ぶことができます。

    地震に備える防災グッズ情報